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備前老人物語
一中西弥五作と、古田弥三は、ならびなき友也しが、しづが岳の戦の時、わたしあひ、弥五作鑓にて弥三おつきふせて、甲お引あげすでに首おとらんとしけるが、よくみれば弥総なり、あやしやとおもひて、おしくつろげて、女は古田弥総なといひければ、弥総下より、かくいふは中西弥五作と覚へたり、かゝる時に臨て、いはれざる名乗なり、はやく首とれといふ、何条さる事あるべきとて、とつて引起し、鎧の塵うちはらひ、不思義の仕合かなとて、打笑て立わかれしと也、弥五作は、秀吉公の御方、弥総は柴田殿の方にありし也、そのゝち大和中納言殿につかへ、終には古田兵部少輔殿の家老となり、古田総左衛門といひしは、かの弥総が事也、