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雲萍雑志

予〈○柳沢淇園〉が江戸にくだるころ、親しく交はる友ありて、雞黍の約お結ばんことおもとむれば、諾して後にその志しお見ばやと、ある時食客五人お養ふに、賄の事薄ければ、一人に黄金五爾おあてゝ、二十五両貸し給はれと、その人に乞ひければ、いと安きことなりとて、みづから持ちきて貸しけるに、此歳の末の債逼れば、又二十五両貸せよといふに、先に貸したることおもいはで、こたびももて来り貸しにけり、そのまゝ三とせお過ぎつれども、こがねのことは少しもいはで、前にかはれる心もなく、いよ〳〵親しみ交はりけるに、その人はからず禍ありて、多くのこがね入ることあれども、少しも色に出ださゞりけるが、その妻夫に雲ひけるは、五十両のこがねおかりて、七とせ過ぐるに返さゞるは、欺き奪ふ心ぞといふに、否とよ、彼人予おあざむく心なし、乏しきがゆえ返さゞるなり、刎頸の交情は、婦女子の知れるところにあらず、ふたゝび此事おいはゞ、夫婦の縁お絶つべしと、いきどほれば、この後妻もいはずなりぬといへるはなしお、ある人来りて、予に告げければ、予はその無お無として、返さるゝことの能はざるお悔れば、告げたる人また彼処にいたりて、予がいふことお、その人にかたるに、その人こたへて雲ひけるは、人は不実おなしたりとて、その交りお絶するは、知己親友といふにはあらず、欺くも不実も、その折からの是非なきにして、世に始めより詐偽おかまへて、人に交はる輩はなし、そのいつはるとあざむくとお許さゞれば、知己親友とは雲ふべからずとて、予が詞にこたへけるよし、そのことおきゝてよりも、借りたる黄金の緘も解かねば、封じたるまゝお、その人に返して、予はその許お試しぞとて、ます〳〵厚く交はりぬ、