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藩翰譜
五/酒井
神谷の何某、御家人に召れし初、政親〈○酒井〉に行あひて、路次の礼おいたす、政親はかくとも知らで打過たり、此後神谷、政親にあひて、頗る無礼おあらはす、徳川殿、〈○家康〉此よしお聞召、神谷が常の振舞お試させ玉ふに、心直にして行正しく、奉公の労おこたらず、かゝるもの御勘当あらんには、御家人等皆身お危きものに思ふべし、又政親が讒したりなど思ひなん、さりとて其儘に召仕れんには、家の司が威勢、日々に尽て、事また治まるべからず、せんずる所、彼に所領賜らん時、かねての約に違はゞ、一定我家お去るべきものなりと思召て、八百石お賜はんとの、御下文おなさる、政親御前に参りて、神谷所領賜るべしと承る、かれがふるまひ、よのつねならず、過分の所領賜ふべき者なりと申す、彼はおこの振舞する男と聞けば、八百石の所領賜らんと思ふなりと仰せらる、政親大に驚き、何条さる事や候べき、彼等に所領約の如く、賜らざらんには、此後、誰かは出て仕ふべき、たゞ過分の所領たまふべき者なりと申、徳川殿、女が申す所心得ず、家康が家にして、女に向て、無礼せんもの、誰かあるべき、彼に賜ふ所、約の如くにならざらんには、彼は一定我家お去るべしと思て、斯は計ふなりと、仰せられしかば、政親慎み承て不肖には候へども、君の御恩に依て、かゝる身と成て候へば、御家人の中に、誤ても一人腰膝お屈め、手お突かぬ者は候はず、夫に此神谷が心強く、無礼お顕はす条、彼もし君の御恩に感じてだに候はんには、必御大事あらんとき、身おも家おも忘るべき者と思ひなして候、平に所領多く賜ふべしと申す、さらば如何程おか賜らんとあれば、二千石おや賜べきと申、たゞ約のまゝ千石おこそ賜ふべけれと有しに、政親望み乞ふ事やまず、宿老の人々、さらんにおいては、千五百石おや賜ふべきと申ければ、神谷お召して、ありし事ども、一々に仰下されて、千五百石の領宛行はる、神谷感涙にたへず、御前お立て、直に政親の許に行向ひ、此程の無礼お謝す、其後高名度々に及び、終に足軽の大将お承る、徳川殿、常に此事お、執政の人々に語らせ玉ひ、女等政親が心お心とすべきものなりと、仰られしよし、或書に出づ、