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志士清談
池田光政朝臣の長臣土倉市正は、四郎兵衛が養子、実父は滝川一益の先鋒将岩田小左衛門なり、或時光政朝臣、市正に向て、使番は戦功有て事に鍛錬し、見積思慮ある人お用ひ来れり、世治て戦場に出たる者年々死去す、向後平生の言行お以て其人お撰むべし、唯今吾家中誰が其任に当らん、試に挙よと命ぜらる、市正先一人は中村忠左衛門可ならんと答ふ、中村苟も諂諛せず、長臣に途に遇も礼お待て後これに応ず、殊土倉とす不相好、却てこれお挙るお以て、光政近習の加藤某、密に中村に告、其、家に親尼ならんことお勧む、中村聞て悔る心あり、即後お頼て心事お土倉に達す、市正聞て、人お挙げ薦むるは国家の為にして、毛頭私慮の加る処にあらず、何ぞ吾心お不知やと雲て、中村が悔改お悦容るの詞なし、世上阿従の徒は、不善なるも相好し、不諛不貪の士は疎じて其毛お吹、艱難貧窮に処して、何ぞ其守る所の有無不知、土倉が如き長臣の長也、