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太閤記

秀吉公素生或時同国〈○近江〉犬山城の近辺焼働として、信長公未明に打出給ふに、馬に乗いさめる着有、誰そと宣へば、木下藤吉郎秀吉とそ名乗ける、そのゝち程へて、鴨鷹の為、暁がた出させ給ひつゝ、誰か有ぞと尋させられけるに、藤吉郎是に候と答奉る、敬上尽臣職者は、必公庭に隙なしと聞しが、近年藤吉郎が勤め、実に左も有ぞかしと、御感之御気ざし始て有けり、如此勤め行、漸日お累、年月お経しかば、直に御用お奉る程に成にけり、