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藩翰譜
十一/本多
大御所〈○徳川家康〉正信〈○本多〉お見給ふ事、朋友の如くにて、将軍家〈○徳川秀忠〉は長者お以て、待せ給ふ、正信も又常に大御所お呼びて、大殿といひ、将軍家おば、若殿と呼、軍国の機事に至て、其謀る所、言葉多からず、一言二言にて尽せるよし、諷諭に長ぜる人と見えき、始め大阪にて、大名七人、石田治部少輔三成お討んとす、徳川殿人々お制し給ひしに因て、事平らぎぬ、其時伏見の御館にて、正信御前に参りしに、其夜は未だ亥の半なるに、はや御殿ごもりあり、正信打咳き〳〵参り、此夜ははやう御寝ならせ給ふと申す、徳川殿いま何事かありて参ると、仰せられしに、正信、別の事にも候はず、石田が事、いかにや思召すと申す、されば今其事おこそ思ひ謀れと仰せらる、正信さては心易くなつて候ふ、其事思召しはかられん上は、正信何事か申すべき、御暇給るべしとて罷り出づ、徳川殿又仰せらるゝ旨もなし、其時に土井大炊頭利勝、御傍に在つて承りきと、後に石谷将〓に語りしなり、