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山崎闇斎先生事業大概
曾津侯、〈松平肥後守正之君〉博学大才、諸子百家の書に渉て、人傑也、河内守と懇意にて、度々参曾あり、ある時肥後侯来り給ふ、河内侯則先生お頼れし始末お語り給ふ、肥後侯相見事お求たまふゆえ、先生座敷へ出らる、肥後侯座お立て、次の間まで迎へ給ひ、引て対坐あり、学談に及ぶ、肥後侯頻に先生お招請有たく求給ふ趣なり、其後弥其旨お通達あれども、先生辞するに、河内侯に先約あるお以てす、河内侯日、会津侯は我に比すれば徳沢の及ぶ所も広かるべし、我に変約のいとひなく行るべしとて、進め頼みたまふ、しからば御政道一人に被任るならば、可参と申さる、いかにも任せ申べきよしにて、絡に会津侯の方へ行れしに、太守師範、家老の上座にて、合力として、百人扶持送られぬ、