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銀台遺事

遺言〈○堀吉勝〉に任せ、所領お子供に分ちたまふ、嫡子丹右衛門勝安、三百石加増して、五百石に成、其子次郎太夫勝行、其子平太左衛門勝名也、君〈○細川重賢〉の御家お継せ給ひけるは、勝名いまだ小姓組の比にて、勤仕しけるお、用人にうつされ、いく程なく、宝暦二年七月、擢出して、奉行になし給ひけるより以来、一国の仕置、此人の計らひたまはざる事なく、終に中老お経て、家老になし、所領お加へて、三千五百石に至り、国の政事お委任したまふ事、凡三十年ばかり、君の人お知らせ給ふ事明らかに、人お任じ給ふ事の専らなりし事如斯、〈○中略〉
浦地喜左衛門正定、〈○中略〉君の御代になりては、納戸の事お司りてありけるに、ある時鷹野に具し給ひて、此犬しばし引て居よと有ければ、犬は犬引にこそ、引せらるべきに迚引かず、又あるとき御かたはらお掃くべきよしお、の給ひければ、それは掃除坊主にこそ可被仰付とてはかず、かく何事もむくつけくいひければ、おのづから御覚もよからぬやうに人も見なし、其身も役お辞退せしに、いく程なく、役料五百石おあたへて奉行になし、後は所領お加へあたえて三百石、猶役料六百石添て、九百石の高に被成、〈○中略〉此国にては、平太左衛門〈○堀勝名〉とゝもに高名なり、