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太平記
十一
金剛山寄手等被誅事附佐介貞俊事
佐介左京亮貞俊は、平氏の門葉たる上、武略才能共に兼たりしかば、定て一方の大将おもと、身お高く思ける処に、相模入道〈○北条高時〉さまでの賞玩も無りければ、恨お含み憤お抱きながら、金剛山の寄手の中にぞ有ける、〈○中略〉さても関東の様、何とか成ぬらんと尋聞に、相模入道殿お始として、一族以下一人も不残、皆被討給て、妻子従類も共に行方お不知成ぬと聞へければ、今は誰お憑み、何お可待世とも不覚、〈○中略〉貞俊又被召捕てげり、〈○中略〉最期の十念勧ける聖に付て、年来身お放たざりける腰の刀お、預人の許より乞出して、故郷の妻子の許へぞ送ける、聖是お請取て、其行末お可尋申と、領状しければ、貞俊無限喜て、敷皮の上に居直て、一首の歌お詠じ、十念高らかに唱て、閑に首おぞ打せける、
皆人の世に有時は数ならで憂にはもれぬ我身也けり