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源平盛衰記
三十四
東国兵馬汰並佐々木賜生唼附象王太子事
近江国住人、佐々木四郎高綱、佐殿〈○源頼朝〉の館に早参して、所存ある体と覚へたり、兵衛佐宣けるは、如何御辺は、此間は近江に在国と聞は、志あらば軍兵上洛に付て、京へぞ上給はんずらんと相存るに、いつ下向ぞと問給、高綱申けるは、其事に侍り、去年〈○嘉永二年〉十月の比より、江州佐々木庄に居住の処に、斯る騒動と承れば、誠に近きに付て、京へこそ打上るべきに、軍の習命お君に奉て、戦場に罷出る事なれば、再帰参すべしと存べきに非、今一度見参にも入、御暇おも申さん為、又いづくの討手に向へ共、慥の仰おも蒙らん料に、正月五日の卯刻に、佐々木の館お打出て、三箇日の程に、鎌倉に下著し侍し、且は下向せずして自由の京上も其恐ありと存、傍の所存によりて罷下れり、〈○中略〉と申、〈○下略〉