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東海道名所記

年のころ廿四五なる男、〈○中略〉もとより旅なれぬ身にて侍べるものおといふ、楽阿弥聞て、あらいとおしや、旅は道づれ世はなさけと雲事あり、そなたの様なる旅なれぬ人は、追はぎにあひて、ころさるゝか、かたりにあふて一跡おとらるゝか、旅籠や、渡しぶね、所々で損おする事多し、旅には第一、薬おたしなみ、煩ひおふせぐお肝要とす、菓冷水むざとしたる食物おつゝしむべし、夏旅の霍乱は多くは食傷よりおこるなり、あやしき人に道づれして、ひとつ宿にとまりて、荷物おすり替られ、寝たる間だに、とりにげにあふ事あり、夜ふかく宿お出ぬれば、山だち、辻切の気づかひあり、宿につきては、家の勝手、閑道の要害、見おくべし、座敷の壁に荷物およせかけておくべからず、畳のおちこみて、やはらかなる所あらば、畳おあげて是おみよ、蚊帳の内ならば、かたわきに立より、壁にそふて臥すべし、夜盗入て、つり手おきり、おしつゝむ時の用心なり、宵にねたる所おば、わきへ替て寝なおれ、太刀かたなは、柄口おわが身にそへておくべし、遊女にたはれて、金銀おぬすまるゝな、たとひよぶとも心ゆるすな、さて道中第一の用心には、堪忍にまさる事なし、船頭、馬かだ、牛遣などは、口がましく言葉いやしう、わがまゝなる者なれば、是にまけじとする時は、かならず大事のもとひとなる、今銭二三文おたかくつかへば、万事はやくとゝのふなり、扇、笠、きんちやくも、たかき所におくべからず、わすれやすきものなり、旅飯(はたご)銭は宵に渡すべからず、朝たつ時にわたすべし、銭おかふには、金銀お手ばなし、人おたのみて、つかはしぬれば、あしき銀にすりかへらるゝ事あり、しるしおみせて銭おとりよせ、其後にわたすべし、道の右左に神や仏の堂社あらば、手おあはせ心に念じてとおるべし、まもりの神となり給ふ也、まだ此外に色色の事どもあり、後には合点ゆくべし、〈○中略〉いざや道づれになり、道々かたりてのぼらんとて、うちつれ立てぞのぼりける、