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更科日記
十三になるとしのぼらんとて、九月三日かどでして、いまだちといふ所にうつる、〈○中略〉かどでしたる所は、めぐりなどもなくて、かりそめのかやゝのしとみなどもなし、〈○中略〉おなじ月の十五日、雨かきくらし降に、さかひ〈○常陸下総境〉お出て、下野〈○下野下総誤〉の国のいかたといふ所にとまりぬ、〈○中略〉国にたちおくれたる人々まつとて、そこに日お暮しつ、十七日のつとめてたつ、〈○中略〉その夜はくろどの浜といふところにとまる、〈○中略〉そのつとめてそこおたちて、下つさのくにと、むさしのさかひにて有、ふといがはといふ、かゞみのせ、まつさとのわたりにとまりて、夜ひとよ舟にてかつ〴〵物などわたす、〈○中略〉つとめて舟に車かきすへてわたして、あなたのきしにくるまひきたてゝ、おくりにき〈○き原作はへ拠一本改〉つる人々、これよりみなかへりぬ、のぼるはとまりなどして、いきわるゝほど、行もとまるもみななきなどす、〈○中略〉ましもと雲所も、すが〳〵とすぎて、いみじくわづらひ出て、遠江にかゝる、さやの中山など越けんほどもおぼえず、いみじくくるしければ、てんりうといふ川のつらに、かりやつくりまうけたりければ、そこにて日ごろすぐるほどにぞ、やうやうおこたる、冬深くなりたれば、河風はげしく吹上て、たへがたくおぼえけり、〈○中略〉二むら山〈○三河〉の中にとまりたる夜、大きなるかきの木の下に、いほおつくりたれば、夜ひとよいほのうへにかきおちかゝりたるお、人々ひろひなどす、〈○中略〉とゞまりてしはすの二日京にいる、