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更科日記
そのかへる年の十月廿五日、大嘗会御禊とのゝしるに、はつせの精進はじめて、その日京お出るに、〈○中略〉その山越はてゝ、にへのゝ池のほとりへいきつきたるほど、日は山の端にかくりにたり、今はやどゝれとて、人々あかれて、やどもとむる所はしたにて、いとあやしげなる下すのこいへなんあるといふに、いかゞはせんとて、そこにやどりぬ、みな人々京にまかりぬとて、あやしのおのこふたりぞいたる、その夜もいもねず、此おのこいでいりしありくお、おくの方なる女ども、などかかくしありかるゝぞととふなれば、いなや心もしらぬ人おやどしたてまつりて、かまばしもひきぬかれなば、いかにすべきぞとおもひて、えねでまはりありくぞかしと、ねたると思ひていふ、ぎくにいとむく〳〵しくおかし、〈○中略〉暁よふかく出て、〈○初瀬〉えとまらねば、ならざかのこなたなる家おたづねてやどりぬ、〈○中略〉また初瀬にまうづれば、〈○中略〉三日さぶらひてまかでぬれば、〈○初瀬〉れいのならざかのこなたに、小家などにこのたびは、いとるいひろければ、えやどるまじうて、野中にかりそめに、いほつくりてすへたれば、人はたゞ野にいて、夜おあかす、草のうへにむかばきなどお打しきて、うへにむしろおしきて、いとはかなくて夜おあかす、かしらもしとゞに露おく、暁がたの月いといみじくすみわたりて、よにしらずおかし、