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太閤記
十六
醍醐之花見
尼孝蔵主おもつて仰られしは、三月十五日、醍醐の花見お催され候はん、政所殿も見物あるべきよし申候へと宣ふ、〈○中略〉
醍醐御普請之覚一三宝院小破之所おば可加修理也、大破なる所は新儀に立直し、たゝみ以下も、あたらしく可申付候事、
一院外五十町四方、三町に一け所宛、番所お立、弓鉄炮之者お置、かたく番お沙汰し可申事、
一伏見より醍醐に至て、道の両辺に埒お結せ可申事
一寺々宿札お打候て、破壊の所あらば、可致修理之事、
一院内院外掃除念お入可申付之事
一振舞等其外万潤沢に可在之之事
一百姓已下並往還之旅人等、不謎惑様に可在之事
右堅可申付者也
慶長三年戊戌正月廿日 徳善院玄以僧正
浅野弾正少弼殿〈○中略〉
長束大蔵大輔殿〈○中略〉
寺々の名花、所々の花園まで、道の左右に埒おとおし、五色の段子のまんまくおうち、秀吉公父子其外上臘衆、かちにていとしづかなる有さま、人間の住家にはあらざるにやと、おもはれて艶なり、〈○中略〉石橋の左に当て、さび渡りたる堂に、益田少将此所お便りとして、茶屋おいとなみ、一献すすめ奉る、殿下御気色在しなり、二三町山上し給へば、谷の右左り、咲も残らず、散そめもせぬ、花あまたにして、実枝おならさぬ風、香お吹送りしかば、温問此上あるべきとも、更に覚えざりけり、〈○中略〉略仙洞にも、けふは風も心し雨もはれ、長閑なる花おみるらんとて、広橋中納言お勅使につかはされしかば、摂家衆も清花のかた〳〵も、ことごとく使者まいらせられにけり、御供にあらぬ諸侯大夫、並京堺の歷々よう、折作物珍物尽其員、名酒には加賀の菊酒、麻地酒、〈○中略〉江川酒等捧奉り、院内に充て、院外に溢にけり、