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平家物語

少将みやこかへりの事
正月げじゆん〈○治承三年〉に、丹波の少将なりつね、平判官やすより入道、二人の人々は、肥前の国かせのしやうお立て、都へといそがれけれども、〈○中略〉二月十日ごろにぞ、備前のこじまにはつき給ふ、それより父大納言殿〈○成経父成親治承元年薨〉の御わたり有なる、有木の別所とかやにたづね入て見給へば、竹のはしら、ふりたるしやうじなどに、かきおき給ひつる筆のすさびおみ給ひて、あはれ人のかたみには、手跡にすぎたる物ぞなき、かきおき給はずば、いかでか是お見るべきとて、やすより入道と二人、よみてはなき泣てはよむ安元三年七月廿日出家、おなじき二十六日、のぶとし下向ともかゝれたり、さてこそ源左衛門のぜうのぶとしが、まいりたるおもしられけれ、そばなるかべには、三尊らいがうたより有九品わうじやう疑なしともかゝれたり、此かたみお見給ひてこそ、さすが欣求浄土ののぞみもおはしけりと、かぎりなきなげきの中にも、いさゝかたのもしげにはのたまひけれ、