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太閤記

秀吉歳暮御礼之事
先今夜忍びの対面すべし、其にまたせよとて、御袴めし給ひつゝ、〈○織田信長〉筑前〈○豊臣秀吉〉か、扠も久しやと再三宣、〈○中略〉御暇被下けり、斯て明日の捧物、数多き事なれば、無相違やうに、台にのせて見せよと、終夜用意有しかば、告渡八声の鳥催旦、進物の奉行共はや持出、山下よりならべ置候へ、頓て出給はんとて、奉行共出し給へり、山下にて信長公への進物は道の左に、御若君たちへのは右にならべ、其次々の進物は、如此せよと被仰付、登山有けり、台の数二百余の事なれば、左右にならべつる台は、御門に入共、跡の台はいまだ山下に在、信長公殿守より御覧有て、坂に布引におしはへ見ゆるは、彼大気ものゝ筑前守が進物の台なるべし、見よや者とて打笑せ給ひける、