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甲子夜話

前人〈○林述斎〉又雲、昔とても権勢の人へは贈遺もあれど、近来の如き鄙劣なることは無きことなり、今姫路の酒井家、もと前橋お領して、大老勤られしとき、仙台より大筒二十挺贈りしとぞ、一挺お車一両に載る重さなりしとなり、今その筒、江戸と姫路に半づヽ蔵すと聞く、その時鍋島家よりは、伊万里焼の鱠皿、焼物皿、菓子皿、猪口、小皿等、凡膳具に陶器にて用ゆべき程の物お、千人前にして送りしとなり、隻今尋常の客に掛合の膳お供する時、やはりその陶器お用ゆ、多くは敗損せしが三け一は尚残れりとなり、又高崎侯の祖〈諱輝真、松平右京大夫、〉元禄中、殊更に御眷注お被られしかば、人々の奔走もありしが、一日加賀侯訪問にて面話のとき、何ぞ逓上と存ずれども、事欠るべきにも無れば、空しく打過す、馬お好まれ候と承りぬれば、国製の鐙にても進じ候半歟などとの物語なりしかば、厚意忝きの旨挨拶あり、加侯帰邸の後、使者お以て鐙百掛贈られけり、折角の厚情なれば迚、厩に繫ける馬百匹に鞍置せ、其鐙お掛け使者に付て、即時に加邸へ牽せ、此通り用ひ忝旨の謝詞ありしとなり、此頃の風儀は、信に感じ入たる事ならずや、贈る人も、受る人も、熟れおいづれとも雲がたし、