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十訓抄

六条修理大夫顕季卿、あづまの方に知行の所ありけり、館の三郎義光妨げあらそひけり、大夫の理有ければ、院〈○白河〉に申給、左右なくかれが妨おとゞめらるべしと思はれけるに、とみに事きれざりければ、心もとなく思はれけり、院に参り給へりけるに、閑なりける時、近く召よせて、女が訴申東国の庄の事、今までこときれねば、口惜とや思と仰られければ、畏り給へりけるに、度々とはせ給へば、我理有よしおほのめかし申されけるお聞召て、申所はいはれたれ共、我思は彼おさりて彼にとらせよかしと仰られければ、思はずにあやしと思て、とばかり物も申さで候ければ、顕季が身には、かしこなしとても事かくまじ、国も有司もあり、いはゞ此所不幾義光は彼に命おかけたる由申、彼がいとおしきにあらず、顕季がいとおしき也、義光はえびすの様なる、心もなき者也、不安ず思はんまゝに、夜中にもあれ、大略通つるにてもあれ、いかなるわざはひおせんと思立なば、おのれがためにゆゝしき大事にはあらずや、身のともかくもならんもさる事にて、心うきためしにいはるべき也、理にまかせていはんにも、思ふ、にくむのおぢめお分て定めんにも、傍沙汰に及ばぬ程の事なれども、是お思て今まで事きらぬ也と仰事有ければ、顕季畏悦て涙おおとして出にけり、家に行付や遅きと、義光お聞ゆべき事有とて、よびよせければ、人まどはさんとし給、殿の何事によび給ぞと雲ながら参りたりければ、出あひて彼庄の事申さんとて、案内いはせ侍りける也、此事理のいたる所は申侍りしかども、能々思給ふれば、我ためは是なくても事かくべき事なし、そにには是おたのみとあれば、実不便なり、此事申さんとて聞えつるなりとて、去文お書てとらせられければ、義光畏て、傍に立寄てたゝうがみに二字書て奉て出にけり、其後つき〴〵しくひるなど参りつかふる事はなかりけれども、万の往来には何と聞えけん、思よらず人もしらぬ時、鎧著たる者の五六人などなきたびはなかりけり、たれぞととはすれば、たて刑部殿随兵に侍ると雲て、いづくにも身おはなれざりけり、是お聞に付ても、あしく思はましかばと、胸つぶれて、院の御恩恭く思しらるゝに付ても、賢くぞ去与へけると申されけり、かゝるためしお聞にもたのめてん人は、一旦つらき事など有とも、恨お先立ずして、其計お可廻と也、