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総見記

平手中務諫言切腹事
遺書に諫状お指添へ留め置きて、政秀〈○平手〉即ち腹切て死去しけり、誠に是末代無双の忠臣とぞ聞へし、信長公大きに驚き思召て、御後悔不斜、屢愁涙垂給ひて、平手が諫状の趣お、一々御心服あり、是より御心立行儀作法お改られ、日々真実の御嗜也、然れ共異相は未だやみ玉はず、其後信長公平手が菩提の為にとて、一宇の寺お御建立有て、政秀寺と名付け、自身御参詣御焼香あり、それより後、代々此寺にて、平手が後世お弔らひ玉ふ、扠又時々に平手が忠志お思召出され、天下一統の後も、我如此国郡お切取事は、皆中務が厚恩也と、仰られし事度々なり、又鷹野に出玉ひ、河狩おし玉ふ時も、俄に中務が事お思召出されて、或は鷹取たる鳥お引さきては、政秀是お食せよとて、虚空に向て投たまふ、或は河水お立ながら、御足にて蹴かけ玉ふて、平手是お呑よとの玉ひ、双眼に御涙お浮べ玉ふ事多し、皆人是お見て、かヽる異相の人ながらも、御真実の御手向、寔に奇特の御芳志なれば、平手が亡魂いか計か、忝く存べきとて、各信感し奉る、