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常山紀談
二十
正則〈○福島〉常に物あらく人お誅する事お好めると、世の人もいひあへり、或時近習の士、少の咎ありて、城内〈広島〉の櫓に押こめ、食物おあたへず、餓死せしめんといはれしに、其士の恩お受たりし茶道坊主、罪なくてかゝる有様おいたみ、潜に夜焼飯お携へ行たり、彼士われは罪ある故に斯成たり、女隻今のふるまひお殿聞し召れなば、われよりも罪重からん、又飯お喰たりとて命助かるべきにあらざれば、とく帰れといひしに、茶道雲けるは、同じ罪に行はるゝとも後悔なし、われ先に既に殺さるべき事の有りしに、君の救ひにて一度たすかり候ひぬ、恩おうけて報ぜざるは人にあらず、こなたも又よわげなる心おはして、吾志お空しくし給ふ事こそ口惜けれといへば、彼士悦んで、さらばとて是お食す、夜ごとにかくの如くしたりけり、程経て死したるならんとて、正則矢倉に行れしに、顔色少しも衰へず、正則さては飯お送りたる者あらんと怒られしに、茶道来り、某こそ送りたれと申す、正則はたとにらみて、おのれ何故にかくしたるや、頭二つに切わりなんと、膝立直されし時、茶道少もさわがず、我昔罪お得て既に水ぜめにあひて殺さるべかりしに、彼人の申ひらきたりし故、今日まで思ひかけず命存らへ候ひき、其恩お報ぜん為、毎夜しのびて飯おはこび候といふ、正則、怒れる眼に涙お流し、女が志感ずるにあまれり、かくこそ有べけれ、彼士おもゆるすべしとて、其まゝ矢倉の戸おひらきて罪お宥め、茶道おも深く賞せられけり、されば暴惡の人と世に称しけれど、かゝる義に感ずる事の切なる故に、士のおもひ慕ひてかお竭し、正則の為に身おすてゝ奉公しけるも、げに故ある事にこそ、