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窻の須佐美

横田甚右衛門、百人組の頭にてありし時、与力の許に年久しく召仕ける僕の、心変して盗おなして遁んとするに、見附て折ふしゆあみしけるに、脇差お取て抜打に切けるが、少し疵附て遁けるお、直に追かけ行て、四五町ばかりにて、辻番へかけ入けるお追付て、右のよしお語り、此ものお渡して給へと雲ければ、あか裸にて脇差抜身持たるなれば、狂気したるならんと、皆おもひけるほどに、家の役人出合て、なか〳〵わたさず、御目付へ届などしける、召仕なども追々来り、同組与力皆来りぬれど、衣服の心附ざりしかば、猶裸にてありける程に、屏風にて囲ひなどつけり、偏に罪人のよふに思へり、かくて此事横田の許へ聞へければ、その儘にては事済まじとて、自身にて営して御目附へ逢て、われら組に紛れなく、手討したる事分明なれば、我等方へ受取て吟味すべし、公辺の沙汰に及んでは、我等一分立不申候とありければ、今更いたしかだなかるべし、さらば我等申達して願んとて、若老中へ右の理り、細かに達しられけるほどに、頭の申さる事なれば、その意に任せられ候へとありしかば、直にその辻番へ往て、御歩行目付の吟味し居たる所にて、これはわれら申達し、事済候間、此かたへ受取候はんとある中に、御目付よりもそのむね申来りけるにや、思ふまゝになりければ、すなはち宿所へ帰りし、彼僕は改て手討にし、何事なく事済けり、初のもやうにては、乱気になりてんに、横田氏の器量にて治りぬるほどに、組の与力同心感慨に堪ず、何事にてもあれかし、この厚恩お報ひなんと、常に申あひける、かくて後横田氏の宅火災にかゝりて、残りなく焼けり、殊にかねて貧しく、漸囲ひなどしけるほどに、与力の輩相談して金弐百両持参し、御造作のかたはしにも成候へかしと申ければ、横田氏大に感じて、おのおのゝ志もだしがたくおもへども、存念もある間、これは請まじき由、懇に雲聞せられければ、与力の士、左様候へば、是非におよばず候間、われら切腹すべき由申ければ、如何なるゆへにと有りしかば、此度の事面々志切に候得共、申しても御受有まじと各申せしお、我等丹精お抽んでゝ御受有様にも致すべきと申せしゆへ、みな〳〵よろこびて我等おおしぬ、かくて御受なくとて罷帰り、同列へ面お向け様もなく候間、御庭おかりて自殺仕候半と、余儀なき体に見へければ、これおうけられけり、与力の士大に喜びて出ければ、同心のものつどひ来り待居て、如何御受納ありしにやと申ければ、右のむねお語りける、皆々さても歓しき事にこそと雲うちに、一統に竹木板の類お持運び、門内に積置けり、されば此人おしたふ事、子の親お思ふがごとくなりけるとぞ、すなはち国家の忠臣といふべきか、