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平家物語

きおほが事
三位入道〈○源頼政〉のちやくしいづの守なかつなのもとに、九重に聞えたる名馬有、かげなる馬の双なき逸物、のりはしり心むけ、世に有べき共覚えず、名おば木の下とぞ雲れける、宗盛の卿使者お立て、聞え候名馬お給て、見候はゞやとの宣ひつかはされたりければ、〈○中略〉伊豆守ちから及ばず、一首の歌お書添て、六はらへ遣さる、
恋しくばきてもみよかし身に添る景おばいかゞはなちやるべき
宗盛の卿、まづうたの返事おばし給はで、あつはれ馬や、馬はまことによい馬で有けり、され共あまりに惜みつるがにくきに、主が名のりおかなやきにせよとて、仲つなといふかなやきおして、馬やにこそ立られけれ、客人来て、聞え候名馬お見候はゞやと申ければ、その仲つなめにくらおけ、引出せ、のれ、うて、はれなんとぞ宣ひける、伊豆守、此よしおつたへきゝ給ひて、身にかへて思ふ馬なれ共、けんいに付て取るゝさへ有に、剰天下のわらはれ草とならんずる事こそやすからねと、大にいきどほられければ、〈○中略〉同き十六日〈○治承四年五月〉の夜に入て、源三位入道頼政、ちやくし伊豆守仲つな二なん源大夫判官かねつな、六条蔵人なか家、其子蔵人太郎なかみつ、いげ混甲三百よき、たちに火かけやきあげて、三井寺へこそ参られけれ、援に三位入道の年比の侍に、渡部の源三きおほの滝口と雲、者あり、はせおくれてとゞまりたりけるお、六はらへめして、〈○中略〉大将〈○平宗盛〉さらば奉公せよ、頼政法師がしけんおんには、ちつ共おとるまじきぞとて、入給ひぬ、朝より夕部におよぶまで、きおほは有り候、有り候とてしこうす、日もやう〳〵くれければ、大将出られたり、きおほ畏て申けるは、まことや三位入道は、三井寺にと聞え候、さだめて夜討なんどもや向はれ候はんずらん、三位入道の一類は、渡部たう、扠は三井寺法師にてぞ候はんずらん、心にくうも候はずまかり向てえり討なども仕べき、さる馬お持て候しお、此程したしひやつめにぬすまれて候、御馬一匹下し預り候はゞやとそ申ければ、大将猶さるべしとて、白あしげなる馬の、なんれうとて、ひざうせられたりけるに、よいくら置て、きおほにたぶ、給て宿所にかへり、〈○中略〉なんれうに打乗、のりがへ一き打ぐして、舎人男に持だてわきばさませ、やかたに火かけやきあげて、三井寺へこそはせたりけれ、〈○中略〉競畏て申けるは、伊豆守殿の、木の下が代に、六はらのなんれうおこそ取て参りて候へ、参らせ候はんとて奉る、伊豆守なのめならず悦び給ひて、やがておがみおきり、金やきおして、其夜六はらへ遣さる、夜半計に門の内へ追入たりければ、馬やに入て馬共とくひ合ければ、其時とねりおどろきあひ、なんれうが参りて候と申す、宗盛の卿いそぎ出て見給ふに、むかしはなんれう今は平の宗盛入道といふ、かなやきおこそしたりけれ、〈○下略〉