壒囊抄

一

世謡以恩報怨雲証拠ありや、常爾雲、され共論語或曰、以徳報怨何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳雲り、然共仏法又報怨以徳為善、以恩報怨、怨永亡、自他安穏、故若其証拠お雲ば、昔天竺大貧王と雲王お、はじめて其隣国王長寿王誅勠、長寿王長生太子に向て雲く、我敵討ことなかれ、以怨報怨、怨互怨絶ることなし、怨以恩報、怨永尽也とて失給、長生太子父貴命去ことなれ共、正親敵お不討しては、生たる甲斐なしと思て、身窶して種々の方便廻、大貪王取寄、事にふれて命不違、随逐給仕事人過たりしかば、影如召具、一寸身不放、心安者にぞ思はれける、或時長生太子膝お枕にして眠給ひけり、長生年比子らひつる所、今已に成就すと悦て、剣抜て害せんとするに、父遺言思出て剣お納め、王寝覚て雲、我夢見様、長寿王子捕へられて殺されんとすと雲、長生答て雲、此所山神怒り祟歟、我あれば何事かあるべき、隻能々休給へと雲、王軈て寝入給、又長生剣お抜て討んとするが、猶父遺言思て、剣おさす、又驚て夢語事如先、答事同、仍王又真眠入、長生重て剣お抜と雲共、父遺命お違へん事、畏思直剣納けり、王又驚夢語事相同、其時長生申曰、我実長寿王子也、女為父討憤不散、故日比伺ひ討んとす、隻今其隙お得たり、殺害せん事如思いなれ共、父遺命難忘して剣お納むる事三度也、今我殺さん共心可任とぞ顕はしける、大貧王其時邪見お飜して善心発し、貪欲故女父お失ひける、怨以恩報ぜらる、真孝養なるべし、今日より后、長生お国王とすべしとて、我身位お去と雲事あり、是其証拠なるべし、但然共多恩お報ずるに以怨する体也、