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常山紀談
二十四
大久保長門守〈一本松平周防守に作る〉教完の内所に奉公せし女中老、ある時心得過ちし事有しお、女の年寄大に怒り罵りて打擲に及びぬ、中老親にもたゝかれし事はなきものおと、独言して部屋に帰り、文書て下女にもたせ、親のもとにやりぬ、二人の女房、一人は残りなんといふお、大事のこといひやる文なりとて、おして二人とも出しぬ、道にてあやしき事よ、常に二人一度に出されし事も覚えず、顔色も隻ならず有しとて、文お披き見るに、しか〴〵の子細にて、自害するなりと書のせたり、さてこそ有べけれとて、一人のはしたものには、とくゆかれよ、我は帰りておしとゞむべしとて、急ぎ帰りて見るに、はや自害して有しかば、夜の物打かけ小脇差の血お拭ひ、我懐にさして、さあらぬ体にて年寄の部屋に行、かたり申度事の候、隻今部屋に来られよといひしに、程なく行べしといひければ、帰りてはまた行数度に及びしかば、年寄来りて夜の物おあくれば、あけに染て中老は死してあり、其時女房これは今日の事にて、かくは自害に及びたる也、主の仇よといひもあへず、小脇差お抜て刺殺しけり、両人お殺したるならんと、とらへて糺し問るるに、ふところより文おとり出し、証故はこれにて候と、始終お詳にいひ述て、主の仇おば討留つ、思ひおく事もなく候とて、さわぐ色もなし、長門守女中お残らず並べて、彼中老の下女の事いかが思ふにやと尋ねらるゝに、忠義といひ気なげなる事といひ、驚き入たるよし、口おそろへていひければ、さらばいかゞせん、各存る旨お申候へとなりしかば、いかで存よりたる事の候べきと申す、さらば此度の次第、ほむるに詞もなしといふべきなり、年寄の死して事もかけぬれば、則年寄に取立て然るべからんとて、よび出して賞せられけるとぞ、