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源平盛衰記
二十六
宇佐公通脚力附伊予国飛脚事
同〈○治承五年二月〉十七日、伊予国より飛脚ありて、六波羅に著、披状雲、当国の住人河野介通清、去年の冬の比より謀叛お発て、道前道後の境、高縄の城に引籠る、備後国住人、額入道西寂、鞆の浦より数千艘の兵船お調て、高縄城に推寄、通清おば討取て侍しか共、四国猶不静、西寂又伊予、讃岐、阿波、土佐、四箇国お鎮が為に、正二月は猶伊予に逗留す、援に通清が子息に、四郎通信、高縄城お遁出て安芸国へ渡て、奴田郷より三十艘の兵船お調へ、猟船の体にもてなし、忍て伊予国へ押渡、偸(ひそか)に西寂お伺けるおも不知、今月一日室高砂の遊君集て、船遊する処に、推寄ら西寂お虜て、高縄城に将行て、八付(はつつけ)にして、父通清が亡魂に祭たり共申、又鋸にてなぶり切に頸お切たり共申、異説雖口多、死亡決定也〈○下略〉