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平治物語

頼朝挙義兵平家退治事
長田四郎忠宗は、平家の侍共にも悪まれしかば、西国へも不参、角ては軈て国人共に討れんとや思ひけん、父子十騎計羽お垂て、鎌倉殿〈○源頼朝〉へぞ参ける、いしう参たりとて、土肥次郎に被預けるが、範頼義経のに人の舎弟お被差上ける時、長田父子おも相添給とて、身お全して合戦の忠節お致せ、毒薬変じて甘露と成と雲事あれば、勲功あらば、大きなる恩賞お可行とぞ約束し給ける、然れば木曾お退治し、平家の城、摂州一の谷お責落、註進の度ごとに、忠宗景宗は軍するかと問給に、又なき剛者にて候、向敵お討、当る所お不破と雲事なしと申せば、八島の城落たりと聞へし時、今はしやつ親子に軍せさせそ、討せんとてと宣けるが、軍果て土肥に具して帰参ければ、今度の挙動神妙也と聞、約束の勧賞取するぞ、相構て頭殿の御孝養能々申せ、成綱に仰含たるぞと有しかば、喜て罷出たるお、弥三小次郎押寄て長田父子お搦捕、八付(はつつけ)にこそせられけれ、八付にも直には非ず、頭殿〈○源義朝〉の御墓の前に左右の手足お以て、竿お尋がせ、土に板お敷て土(つち)八付と雲物にして、なぶり殺にぞせられける、〈○下略〉