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視聴草
初集四
常州復讐
三間市蔵話、五月〈○文政七年〉廿三日
浅田鉄蔵〈○浅田隻助養子〉父のかたき成滝万助、常陸国鹿島郡礒浜村之内祝町といふ所に居るよしお聞出し、其所に至り聢と見留、江戸〈江〉出て門次郎〈○隻助実子〉に雲聞せ、当〈申〉四月十八日、兄弟同道に而江戸お出立し、廿二日祝町にいたり宿おとる、此辺は人気あしき所ゆへ、討おふせし跡の事お考へ、かたきの他行お待といへども、曾て出ざれば、門次郎作病にて取ふし、風説お伺ふに、此地に敵うち来候と雲ふらす、斯ては延々に成難しと、そこお立て二日野に臥して伺ふといへども、門外へ出ざれば、是非な~廿七日暮時、敵の家に至り見ければ、夫婦食事いたし、酒杯酌かはして居たり、其儘押入て親の敵と名乗かけたり、敵きやつと雲ふてたつ所お、鉄蔵足おなぐる、門次郎顔おきる、鉄蔵肩先よりけさがけに切込、またひばらお切、門次郎首お落す、敵日頃は一腰身お離さず携さへしが、町人に似ざるとて、人にあやしめられしにより、押入にひめ置て、抜合する事も協はざりしとなり、