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窻の須佐美

元禄のころにや、武蔵の三田と雲ふ所、渡辺綱が在所にて、忍領の境なり、忍の術者目付役、荒巻十左衛門と雲士、馬上にて通りしに、年二十六七計り一人、三十ばかり奴僕一人つれて来り、馬上に向ひ親の敵なり、討果申べし、馬より下られよと雲懸しかば、荒巻編笠お著したるが、其儘下り立所お、奴僕抜打に足お切ければ倒れしお、彼士一刀に切殺しぬ、扠笠おとりて見れば、人違ひなりしほどに、初遁散し若党鑓持など呼て、家苗お聞て、いよ〳〵見損じたる成りければ、近所の寺へ立入、忍の家士に通達し、ふと見損じて奴僕の切たるゆへ、已事お得ず討留し、卒爾の至り此上遁べき様無之候、敵は越後に居候と承りて尋行とて、如此の通り候、此儀おば讐お討候まで命お御貸候て、本望届け様に被成候へかしと雲しかば、撿使の士聞屈け、僕お免し遣し、その士は自殺させけり、斯て奴僕は翌年越後にて讐お討迚、〈○下略〉