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大鏡
七/太政大臣道長
かゝれば、女の御さいはいあるは、この北の政所〈○藤原道長妻源倫子〉きはめさせ給へり、御門東宮の御母后とならせ給ふ、あるは御おや、よの一の人にておはするには、御子も生れ給はねども、后に為させ給ふめり、女の御さいはひは、后こそきはめておはします御事なめれ、されどそれはいと所せげにおはします、いみじきとみの事あれど、おぼろけならねば、えうごかせ給はず、ぢんやいぬれば、女房たはやすくこゝうにまかせてもえつかまつらず、かやうにところせきなり、たゝ人と申せど、御門東宮の御むばにて、三后になずらふ御位にて、千戸のみふえさせ給ふ、年官年爵お給はらせ給ふ、からの御車にて、いとたはやすく御ありきなども、中々御見やすらかにて、ゆかしうおぼしめしける事は、よの中のものみ、なにの法曾やなどあるおりは、御車にても、御さじきにてもかならず御らんずめり、うち東宮みや〳〵と、わかれ〳〵こそおしくておはしませど、いづかたにもわたりまいらせ給ひては、さしならびおはします、たゞ今二人后、東宮女御、関白、左大臣、内大臣の御母、みかど、東宮はた申さず、おほかたよのおやにて、二所ながらさるべき権者にこそおはしますらめ、御ながらひ四十年計りにやならせ給ひぬらん、あはれにやむごとなきものに、かしづき奉らせ給ふといへばこそおろかなれ、よの中には、いにしへいまの国王大臣、みな藤氏にてこそおはしますに、この北の政所ぞ、源氏にて御さいはひきはめさせ給ひたる、おとゝしの御賀のありさまなどこそ、みな人見きゝ給ひし事なれど、なおかへす〳〵もいみじく侍りしものかな、〈○中略〉大臣〈○道長〉の御むすめ三人后にて、さしならべ奉らせ給ふ事あさましく、けうのことなり、もろこしには、むかし三千人の后おはしけれど、それはすぢもたづねで、たゞかたちありときこゆるお、となりの国までえらびいだして、その中にやうきひごときは、あまりときめきすぎてかなしき事あり、王昭君はえびすの王に給りて、胡のくにの人となり、上陽人は楊貴妃にそばめられて、御門に見えたてまつらで、春のゆき秋のすぐる事おもしらずして、十六にてまいりて、六十までありけり、かやうなれば三千人のかひなし、わが国にはならの后こそおはすべけれど、代々に四人ぞたて給ふ、この入道殿下のひとつかどばかりこそは、太皇太后宮、皇后宮、中宮三所出おはしたれ、まことにけう〳〵の御さいはひなり、皇太后宮一人のみこそはすぢわかれ給へりといへども、それも貞信公〈○藤原忠平〉御すえにおはしませば、それよそ人とおもひ申べき事かは、しかあればたゞよのなかは、このとのゝ御ひかりならずといふ事なし、この春こそはうけ給ひにしかば、いとゞたゞ三人の后のみこそは、よにおはしますめれ、ことにふれてあそばせるしわざかなど、居易や、あか人、人丸、みつね、つらゆきといふ人も、などておもひよらざりけんとこそおぼえ侍れ、