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慶長見聞集

西誉一人道心おこす事
古人は清貧にしてたのしみ、濁富にしてかなしび多しといへり、伝へ聞、ほうこじは持たる宝お船につみ海へ捨て、どくしんに打成て世おたのしび給ふ、扠又九年已前の事なりしに、われ知る人多気九郎左衛門と雲ひし人は、江戸本両替町に家屋敷有福徳にして、しかも若き人なりしが、湯島の寺におはしける称往上人のけうけお聞、後生こそ大切なれとて、持たる財宝打捨、髪おそぎおとし、西誉一人お改名し、念仏三昧の行人となつて、師弟ともなひ、国々おめぐられしが、死期お待こそおそけれとて、伊勢の国わたらひの郡ぼたいせんといふ処にて、慶長十二年丁未五月廿五日にしやしんし、師弟同じ日果られたり、皆人是お見、此由お聞て、えんりえど、ごんく浄土、不惜身命、住西方のけうげなれば、有がたしといひける処に、長生といふ人聞て、いや〳〵此意ろには大に相違せり、新古今にうきながら猶おしまるゝ命かな後の世とても頼なければ、とよめり、此歌殊勝なり、夫命といつは、三千大千世界にみちたる大切の宝なれば、我は此世に千年までもあらばやといふ、愚老是お聞、あら面白の御沙汰どもや、龎居士は世おのがれてたのしび、九郎左衛門は死て後の世おたのしみ、長生は此世おたのしむ、いづれお是とやいはん、非とやいはんと、此義おたつとき、御僧に尋候得ば、是非の理、誰か是お定めん、いづれもたうとしとのたまひける、