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温故堂確先生伝
これよりさき、大人花咲松と雲ふ書おあらはす、こは南朝長慶院と後亀山院との御位の事お論ぜり、万〈○立原〉いまだ其説に服はず、問答あまたたびになりて、万つひに其いふ所およしとす、これによりて、いよ〳〵大人おすゝめて、このよせあることお得たり、そのおりに、万の同僚みないさめていひけらく、国史はわが先君の修むる所なり、瞽者おしてその事にあづからしむる、これ我等が恥にはあらずや、むべそのことおとゞむべしと、万うけずしていふよう、その人の盲たるは病なり、尊卑のいたすところにあらず、然れども常にいはゆる盲人は、世のもてあそびぐさとなる事お勤とす、この故にいやしまれざることかたし、確は文学お業とし、人多く師の礼おいたして来り学ぶ、其説も又取るべきが多し、さらばいかでか明不明のへだてあるべきや、もし国史の校正にあづかりて補ふ所なくば、万其罪おかうぶりなんといらへしかば、ついに其事なりにけり、