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撰集抄

観理大徳事
むかし平の京に、男女すみけり、いたく思下べき品の人にはあらざりけるなんめり、蕨山に有て蓬麓の雲おふみ、竹園に望て令書のうけ給お事とせし人にていまそかりけるが、身くるしくまどしく侍りて、忠勤かれ〳〵になりて、里かげに侍けるなり、しかあるに、年なかばたけて後、初めて一の男子おまふけてけり、みめことがらのわりなさに、父母のいとおしむ事、今一きは色おまして、明けても暮ても夫婦の中におきて、世のまづしく悲しきわざおも、是にてなぐさみ侍りけるに、はからざるに夫世心ちに煩て身まかりにけり、女もおなじみちにと悲しみ侍りし事、理りにもすぎて見え侍りけれど、日数のつもるまゝに、思ひもいさゝかはるけ侍りめるに、世の中のいとゞたえ〴〵しさに、いける心ちもせで、朝夕はねおのみなきて侍けり、此子十一と雲年、母にいふやう、たえ〴〵しき有さまに、我おはごくみいとなみ給ふも悲しく侍り、又かくても行すえいかなるべしとも覚え侍らねば、はやく我にいとまおゆるしたまへ、水のそこにも入か、また物おも乞ても、遠方にまかりなんと、かきくどきいふに、母いとゞ悲しく覚えて、故殿におくれて、一日片時もいきて有るべしとも覚え侍らざりしかども、そちに心おなぐさめてこそ、すぐす事にてあれ、世の中のあるにもあらずまづしきわざは、実こゝろ苦しく侍れども、さればとて又命おなき物になすべきにあらずなんと、ねんごろに涙もせきあへず聞え侍れば、此子ももろともになみだおながし侍りけり、〈○下略〉