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明良洪範

浅野の家士四十七人の外、小島喜兵衛と雲者有、元より大石と深く談じ、東行には必ず同道すべしとて、其期お待居たれど、程久しく成て、段々貯への金銀も尽て、今日お暮すべき力もなく、山科へも行れず、大阪の福島と雲所に住ける、差替の大小もなくして、如何せんと思ひしに、大小の切羽おはづし、よふ〳〵と其月の店賃など残らず払ひ、女房おば水売に遣し、其跡にて諸事取仕舞、心静に自害しけるに、笛お掻損じ、死兼て居たる所へ、妻女帰りて、此有様お見て、其儘に夫お引仰向て、最早助り給ふまじ、苦しみなく終り給へ、我も同道なりと、夫お介錯して、其身心元お指通し、伏重りて死しけると也、此妻お相具して、間もなかりけれども、夫お勧め、何卒主君の仇お討給へと、常に力お添て、仇お報ふの外他事なかりしと也、今日までもうれひおしのぎ、大望お心掛しに、力尽て死して志しお立てし也、