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翁草

関新助算術の事
関新助は元甲府御家来也、文昭院殿、御治世に至、御旗本の士と成、若き頃は八算おだに不知しが、家来の持る塵劫記お見て、其法お家来に習ひ、夫より面白き事に思ひ、色々算書お集め見れ共、不解事多し、夫より算学語蒙と雲書お熟読して、天元一の道理お弁え、自ら発明して様々の術お工夫し、演段の理、町間之術、〈他流とは違ひあり〉暦法天文、悉其理に通達する事御聞に達し、御重宝に被思召、甲州に於て御勘定奉行格に仰付らる、〈○中略〉其外、鍔、日貫、縁、頭等お拵えるに、其家の者の細工よりも増たる妙手なれば、所々より聞傅へに頼まれ、其の謝物お取れば、其有る内は酒お飲み遊戯れ、皆に成れば窮す、明日お貯ぬ清貧に似たりと、世人沙汰しける也、