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源平盛衰記
二十五
西京座主祈禱事
堀川院御宇、きはめて貧き所衆あり、衆のまじらいすべきにて有けれ共、いかにも思立べき事なし、此事いとなまでは衆にまじはらん事協まじ、縦世に立廻る共人ならず、斯る身はあるに甲斐なき事なれば、出家入道して行方知ず失なんとぞ思ふ成ける、されば日来の前途後栄も空くなり、年比の妻子所従も、遺惜く朝夕に参つる御垣の内お振捨て、山林に流浪せん事も悲く、前世の戒徳の薄さも被思知て、唯泣より外の事なし、主上は兼て近習の女房侍臣などに内々仰の有けるは、卒土の浜皆王民、遠民同疎、近民何親、普く恵お施ばやと思召共、一人の耳、四海の事お聞ず、是大なる歎き也、帝徳全く偏頗お存るに非ず、されば黄帝は四聴四目の臣に任せ、俊帝は八元八凱臣に委すともいへり、然共遠事は奏する者もなければ、本意ならぬ事も多くあるらん、聞及事あらば必奏し知しめよと仰置せ給たりければ、或女房此所衆が泣歎ける有様お、こま〴〵に申上たりければ、無慚の事にこそと計にて、又何と雲仰もなし、申入たる女房も思はずに覚えて候ける程に、西京の座主良真僧正お召て被宣下けるは、臨時の御祈禱あるべし、日時並何の法と雲事は思召定て、逐て被仰下べし、先兵衛尉の功お一人召仕て、今度の除目に申成べしと仰含らる、僧正勅命に依て、成功の人お召付て、貫首に申ければ、除目に曾て即成にけり、其比の兵衛尉の功は、五万匹なりければ、是お座主の坊に納置て、日時の宣下お相待進らせけれども、日数お経ける間に、僧正参内して、成功五万匹納置て候、臨時の御修法日時の宣下思召忘たるにやと驚し奏せられたり、主上の仰には、遠近親疎おいはず、民の愁人の歎きお休めばやと思召ども、下の情上に不通ば、叡慮に及ばざる事のみ多かるらん、御耳に触る事あらば、其恵お施さんと思召処に、某と雲ふ本所の衆あり、家貧に依て、衆の交り協ひ難くして、既に逐電すべしと聞食、さこそ都も捨がたく、妻子の遺も悲く思ふらめなれば、件の兵衛尉の成功お彼に給て、其身お相助ばやと思召、一人が為に某法お枉るにもやあるらん、聖王は以賢為宝、不以珠玉と雲事あれば、憚り思召ども、明王は有私人以金石珠玉、無私人以官職事業と雲ふ事も又あれば、何かは苦しかるべき、世に披露は御憚あり、良真が私に賜体にもてなすべし、御所は長日の御修法に過べからずと仰せければ、僧正衣の袖お顔にあてヽ泣給へり、さすが御年もいまだ老すごさせ給はぬ御心に、かばかり民おはぐヽむ御恵、忝く思進らせ給ふ、やヽ暫くありて、御返事被申けるは、何の大法秘法と申候とも、是に過たる御祈禱侍まじ、縦良真微力お励して、勤め奉らん御祈、なお百分が一つに及ぶべからずと申て、泣々御前お退出して、軈て彼所の衆お、西京の御坊に召て、勅命お仰含めて、五万匹お給へたりければ、隻泣より外の事ぞなかりける、彼のためしに露たがはせ給はずとぞ申しける、