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神田本太平記
三十五
山名発向之事並北野参詣人政道雑談之事
西明寺の時頼禅門は、ひそかに貌おやつして、六十よ州お修行し給ふ、或時摂津国難波のうらに行至りぬ、日巳に暮ければ、あれたる家のかきまばらに軒傾きて、時雨も月もさこそもるらんと覚えたるに、立よりて、やどおかり給ふに、内より年よりたる尼一人出て、やどおかし奉るべき事は安けれ共、藻塩草ならではしく物もなく、いそなより外は参らすべき物侍ら子ば、中々やどおかし奉つても、かひなしとわびけるお、さりとては日もはやくれはてぬ、又問べき里も遠ければ、まげて一夜おあかし侍らんと、とかく雲わびてとゞまりつ、たび子の床に秋ふけて、うらかぜさむくなりぬれば、折たくあしのよもすがら、ふしわびてこそあかしけれ、朝に成ぬれば、主の尼公手づから飯具とる音して、椎の葉おりしきたるおしきのうへに、餉もりてもち出たり、かひ〴〵しくは見えながら、かゝるわざなんどになれたる人とも見え子ば、覚束なく思ひて、などや御内に召つかはるゝ人は候はぬやらんと問給へば、尼公なく〳〵さ候らへばこそ、親のゆづりお得て、此所の一分の地頭にて候ひしお、夫にすてられ、子にも別れて、便りなき身となりはて候らひし後、総領何がしと申す者、関東奉公の権威おもつて重代相伝の地頭職おおさへてとつて候らへども、京かまくらに参りて訴訟お申べき代官も候はねば、此廿よ年貧窮孤独の身となりて、あさの衣のあさましく、かきほの柴のしば〳〵も、世にすむへき心ちも侍らねど、袖のみぬるゝ露の身の、きえぬほどとて世おわたる、あさげの煙の心ぼそさ、隻おしはからせ給ひ候らへと、委く是お語りて涙にのみぞむせびける、〈○下略〉