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続応仁後記

公方家南方御進発同御退治御仕置事
扠又畿内繁昌の地、在々所々寺社等迄、公方家再興の御軍用大切の御事なれば、各々金銀お差上げ可然由被相触ける程に、皆人是お献上す、中にも大坂本願寺は、一向宗門の総本寺大富祐なれば迚、五千貫お課られしに、住持光佐上人不及難澀、五千貫お献上す、〈○中略〉扠泉州の堺津は、大富有の商家共集居たる所なれば、三万貫お可差上事、子細有らじと申付らる、然処堺の津は皆三好家の味方にて庄官三十六人の長者共、中々御請申事無く、不同心の由お申す、然らば早速に堺の津お攻破らんと有ければ、三十六人の者共、弥以怒お含み、能登屋、臙脂屋両庄官お大将とし、堺津一庄の諸人多勢一昧し、溢れ者諸浪人等相集て、北口に菱お蒔き、堀お深し、櫓お掲げ、専ら合戦の用意して、信長勢お妨がんとす、