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翁草

河村瑞軒成立之事
河村瑞軒事、元は車力十右衛門とて、常に車お押て世お渡る傭夫なり、〈○中略〉十右衛門事、浩(かヽ)る卑賤の業に暮すと雖、生得其心広く、才智抜群の者成しが、或時不図思ひ付、上方に行て身の安否お究んと、僅の諸道具お売て、金二三歩肌に著け、小田原迄来て一宿せしに、相宿に老翁あり、何角と語り合ふに、十右衛門が上方〈江〉登る所以お問、十右衛門爾々と答ふ、翁笑ふて、今繁昌の江戸お捨、上方へ行、何の立身か有ん、倩御辺の人相お見るに、大きに家お起すべき相有り不如江戸にて励まれんにはと雲、十右衛門つく〴〵此の翁お見るに、唯者ならぬ気性顕れければ、忽ち得心して、実も翁の異見猶也、然らば江戸にて一と励致して見んと、翁に別れて、江府へ引返、品川お通けるに、折節七月盆過にて、瓜茄子火敷磯端に流寄しお、不図心付て、其の辺の乞食共に銭お取らせて取上げさせ、所縁の所にて古桶お借り、右の瓜茄子お塩漬にして、引かづき毎日普譜小屋〈江〉行、是お売る、大勢の日傭ども昼食の菜に吾も〳〵と競調ふるに仍、夫より段々瓜茄子の潰物お塩梅よく仕込みて売けるに元来発明者なれば、早速御普請の役人へ取入、役人甚十右衛門お賞美して、女左様の渡世お致さんよりは、日傭頭おして出精せば立身すべしと勧るに、渡りに舟と速かに畏請て、夫より御普請場の幟お預り、大勢の日用共お引廻し、万の駈引他の及ぶ処にあらず、依之役人より褒美お囉ひ、余程金お儲て、夫より下町の表店お借り、家普請お奇麗に致、手代お差置き、大屋並近辺の者共お振舞、万づ完闊成体なれば、近所にても宜敷商人の様に取沙汰しけれ共、実は余慶なき身上故に、普請振舞等に費えて、元手銀も無く成しか共、少しも其の色目お見せず、然るに開運の時来るにや、夫より間もなく江戸大火にて、自分の居宅も焼けれ共、少しも夫に貪著せず、次第に大火と見るより、未だ焼鎮まらざる内に、木曾山お志し、僅十両に足らぬ金お携へ、夜お日に継で彼地に馳趣き、則問屋方〈江〉著て門内お見れば、問屋の子供表に遊び居けるに、懐より小判参両取出し、小刀にて穴お明け、紙縷お通して、持遊のがら〳〵にして、件の子供にあたへ、案内お乞ふ、亭主に逢て、某は江都の者に候が、大造なる急用有て、材木お多く調度、手代並に所従の者は追々跡より参積、某は片時も早く用事お弁じ度存じ夜お日に続で先へ到箸す、金子は跡の者共持参すべし、先有合ふ材木お悉く見積りて随分に調へ申さんと雲、亭主も十右衛門が体お熟見るに、如何様大造の事に掛る間敷人相に非ず、其の上小供へ小判お持遊びにして呉れたる様子、実に江府に於て大器の分限者ならんと察して、是お馳走し、段々に材木お見せけるに、一々直段お究め、有合の材木お不残買上て、極印お入る、斯て江戸には焼跡の小屋懸け段々に始る処に、材木屋に有る処の材木共も過半焼失すれば、材木大きに払底して、直段追日高直に成り、江府中の手閊と成故に、材木屋共追々木曾に来り買求んとするに、有合ふ材木之分は悉く十右衛門が極印有て、外に売木なし、依之皆々十右衛門に便り、相対して是お所望しける故、火敷利分お取て売渡し、則其金お以問屋お仕切、須臾に数千爾の金お貯て江府に帰、家居広くきらびやかにしつらひ、手代以下多く召抱、所々の普請お請負ふ、元来才智逞敷者なれば、公儀御普請懸りの役人へ悉く取入、其外諸家の普請役へも一々取入ずと雲事無く、追日其名高く、後には請負事は此の十右衛門が手お離れては難出来様に成しかば、諸請負人渠に従ふて事お成すに仍て、益分限に成り、剃髪して河村瑞軒と号す、