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明良洪範続篇

又紀伊国屋文左衛門と言富商有り、此者元来貪利にかしこく、俄に富家に成りける上、猶又上野中堂御普請の受負おなし、数万金お儲け、大富家に成り、今は驕慢の気出、金銀お湯水の様に遣ひ捨ける、元碌十三年夏、評定所へ願ひ出けるには、此節は御用の御間と存じ候へば、病気養生の為、湯治に罷出度候旨申出る、伊豆守大いに怒り、其方湯治に行く抔届くるには、吾番所なりと、又は吾組の与力共迄申立ても然るべきに、天下歷々の御役人の詰らるヽ此評定所へ申出る事、町人の身分も憚らざる仕方也、畢竟驕慢の心より、かやふなる恐れ多き事お致すなり、不届者めとて、牢舎申付られける、一座の役人は、皆文左衛門より兼て賄賂お得て居る故、心には気の毒に思ひける人も有しとぞ、此文左衛門後年に至り、つひに天罰にや金銀お失ひ、一日おも送り兼る様に成行て、行末も慥に知れざるやうになりし、