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翁草
六十三
京師豪富町人喪家並衰廃之分
石河自菴
先祖尾州犬山城主之由、浪人後洛に来て町人と成、八九十年前身上潰、当時跡無、
袋屋常皓
弟与左衛門
先祖は室町三条辺長崎商人の手代にて、其後自分に長崎商お致、富裕に成、六七十年以前身上潰、僅に残、〈○中略〉
菱屋十兵衛
御池町にて巻物商売致、親代には富裕の聞え有しが、後の十右衛門不行跡者にて身上潰、
吉野屋惚右衛門
押小路柳馬場東へ入町に住す、親は嘉右衛門、後に宗吾と雲、実父にては無之、宗吾妻の弟也、愡右衛門気かさ者にて、長崎会所の両替お致、方々勤廻り候故、其身の分限よりも名高く、手広く取引致候所に、中頃より大名衆の取引滞に仍、諸向年賦の断お立、慚に相続す、
銀座元禄吹替より、日本の銀数度吹改り、其度毎に賃銀お被下有増考申処、凡四五拾万貫目と立、此吹賃四分より六分まで被下、是お平均五分と見て、一度に二万五千貫目也、是お五度合拾弐万貫目也、而るに僅十年計の内に、銀座中家材共に沽却し、今日続がたく相成は如何成故ぞや、全く奢超過する而已也、総じて銀座の風俗昔より如此、盛衰手の裏お返す如くなる事可笑、
糸割賦
元来割賦は、長崎にて京へ百丸の糸お被下、右之糸お売払、其余分お以、仲け間の雑用お引、跡お夫々配分致事なり、仲け間は大勢なれば、先年時節よき頃だに、中々割賦計にては格別の家督にも無之候、去に仍、宝永の頃銭座お願ひ、銭お吹出し候処、其後大銭お吹、無程大銭御停止に成候に付、大分の損失お致、其上近年長崎の仕法も改り候故、益割賦人共困窮に及、古き家の者共、当時大分跡も無く成、僅に残る者共も逼塞す、
呉服所
公儀呉服所お始、諸家の呉服所用達抔雲者、何れも身上宜きは無之、段々困窮に及候、元来商人に非ず、合力米扶持方等お其家々より貰ひ、町人の心お喪ひ、武士の真似する様に成て、自ら世渡に疎く、其上其家え由緒有之用達共も、当時は表向看板の様に成て、調物は店々お問合、下直なるお専に調、或は入札お以買上げらるヽ故、用達は名計にて追々窮迫す、
両替屋
両替商売の儀は、百有余年以来、上品の身上は右に記、中分の者は不知其員、今に相続するは無之、其所以は、両替と申者は、余の代召物は無之、金銀銭而已お取扱ひ、大名豪家の貸引お肝煎、世上よりも安利にて金銀お持込候故、自然末々手代迄も、金銀お大切、且つ相場の思入米商同前に成て、偏に大博奕お打に同じ、故に多く家風惡く成て、永く其家相続せず、穴賢よく守慎べし、右は、商家三井が家書にして、各家衰廃の所以お詳に記して、自家の教誡になせし趣也、奥書に高房と有り、援に記るは、其大略而已也、本書に年暦お不記故、各家興廃の時節分明ならず、可追考、夫より下つかた当世に及迄お倩考るに、さしも人に知られし豪家の衰る事不可勝計、況泛々の家に於おや、翁が物覚初しよりの事お指お折らば、其限り無らまし、去ればとて、興家の類は其十が一にも及難し、盛衰は世の有様なれば、こも〳〵成べきに、などや斯く偏る事は、世の衰るに似れ共、更に左に非ず唯御代の盛ん成徳化に誇て、奢の超過と、貪欲の熾盛とのなせる所ならん、穴賢余所事と不思して、貴と無く賤と無く、大と無く、小と無く、啻自の修身お宗とするに如かざるべけんや、