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近世名家書画談

雪山の失事
長崎には富貴なるもの多し、常に奢侈お極む、或時 人の富家筵お開き、同僚お招くことあり、此時客方より謂て曰、若雪山〈○北島三立〉先生お迎ひ、席上にて、字お作らしめば、この外の配走なしと雲、是は先生元来驕奢の家に至らざるお知りての難題なり、時に亭主頓智お出し、兼て先生常に愛する所の賤者に謀りていはせけるは、今日ある所に、美酒佳肴ありて、終日の興お催す、先生至らんやといふ、先生これに涎お流し、急に従ひ行く、至ればいはゆるふうきの家にして、席上豪具おかざり、水陸並至る、先生一見して、忽其奢靡お惡み、杯おとり轟飲、傍若無人なり、時に主人雲、先生の揮毫お煩すと、娼婦相伴して倶にこれお乞ふ、先生雲、主客両名女お並せ三名なり、三紙おこゝに展べよとて、大筆お墨に蘸し、一紙毎に陰器一茎お写出し、三名に三紙お投与へ、手お揮て帰る、其後途中にて天漪先生に逢ひければ、先生雲、此程は豁達のさた承ると雲ければ、雪山先生雲、馬鹿ども一茎づゝかつがせたりと雲はれたるよし、天漪先生後に広沢先生に語られたりとなん、