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太平記
十二
千種殿並文観僧正奢侈事附解脱上人事千種頭中将忠顕朝臣は、〈○中略〉大国三箇国、闕所数十箇所被拝領たりしかば、朝恩身に余は、其侈り目お驚せり、其重恩お与へたる家人共に、毎日の巡酒お振舞せけるに、堂上に袖お連ぬる諸大夫侍三百人に余れり、其酒肉珍膳の費へ、一度に万銭も尚不可足、又数十間の厩お作双べて、肉に余れる馬お、五六十匹被立たり、宴罷で和興に時は、数百騎お相随へて、内野北山辺に打出て、追出犬小鷹狩に日お暮し給ふ、其衣裳は豹虎皮お行騰に裁ち、金襴纐纈お直垂に縫へり、賤服貴服、謂之僭上、僭上無礼国凶賊也と、孔安国が誡お不恥ける社うたてけれ、是はせめて俗人なれば不足言、彼文観僧正の振舞お、伝聞こそ不思議なれ、適一旦名利の境界の離れ、既に三密瑜伽の道場に入給し無甲斐、隻利欲名聞にのみ趣て、更に観念定座の勤お忘たるに似り、何の用ともなきに、財宝お積倉、不扶貧窮、傍に集武具、士卒お逞す、成媚結交輩には、無忠賞お被申与ける間、文観僧正の手の者と号して、建党張臂者洛中に充満して、及五六百人、されば程遠からぬ参内の時も、輿の前後に数百騎の兵打囲て、路次お横行しければ、法衣忽汚馬蹄塵、律儀空落人口譏、