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蜘蛛の糸巻
十八大通元禄の比、紀伊国屋文左衛門といふ材木の問屋、本八丁堀壱町残らず持地面にて、大夏高堂お構へ、片名に呼びて紀文といふ、今も其名人口に鱠炙す、其角門人にて俳名お千山といへり、其角五元集にも千山が宅にてと雲ふ句二三首見えたり、紀文ひとゝせ、歳越の夜、花街に遊びて、豆の中へ小粒金お交へて、豆蒔おしたる事、口碑にもつたへ、物の本にもみゆ、〈委敷は己が家兄醒斎京伝翁著、近世奇跡考にあり、〉紀文かゝる奢侈に家産お破り、晩年深川一の鳥居の辺に住し、こゝに歿せり、其後、俳諧の宗匠某、紀文が住みすてしお買ひけるに、居間の天井紙張にてありしが、いたくふるびたれば、経師に張替さする時、経師言ひけるやう、こゝは何人の住ひし跡やらん、あるじは物好みにふけりたる人にて有りけん、天井お張りたる紙お見るに、一つ紙にはあらず、日本国中の紙なりといひけるよし、ある随筆に見えたり、おもふに紀文零落しても、心のおごりかくのごとし、此一お以て盛なりし時お知るべし、今いへば是せいたくなり、ぜいたくは驕奢の陰病なる物なり、此病ある者、黄金湯お用ふれば、ます〳〵上昇して、治しがたく、その上遂には破財亡家の死にいたる、享和の比、川柳点の句に、唐やうで売店と書く三代目、とはよきいましめぞかし、扠本編の神代のなごりにもいはれしごとく、天明の比、花車風流お事とする者お、大通、又は通人、通家などゝ唱へて、此妖風世に行はる、其中にも、十八大通とて、十八人の通人ありけり、首長たる者は、日本橋西河岸の〈材木屋と聞ゆ〉十暁、御蔵前なる〈札差大口屋治兵衛〉文魚なり、ある日、十八人の通人集会ありし時、文魚銀のはりがねにて、髪お結ひて出でしお、通者も見て譏り雲ふやう、文魚が銀の針がねは、今日一日の晴ならん、さのみ称すべきにもあらずといひしお聞きて、此後に平日も銀の針がねにて髪お結はせしとぞ、其比、巷説にもいへり、此文魚も紀文の如く、零落して、御厩川岸の格子作り、間口二間ばかりの家に住ひたる比、ある貴人の御隠居、文魚が河東節の上手なるお聞き給ひで、召されける時、上るり終りて、別の座しきにて、酒食おたまひ、文魚なりとて、目錄は多からず、八丈縞五反給はり、文魚が連れ来りし名のきこえたる河東ぶしの三絃弾にて、芸お業とする者なれば、目錄お給はりけり、時に文魚たまものゝ反物お、今日はたいぎなり、是は寸志なりとて、一人へ三反、一人へ弐反、其座にてとらせたるお、貰ひし三味線弾、昨夜かやうの事有りしとて、亡兄に語りて、文魚お称したりき、おのれかたはらにありて聞きぬ、三味線弾は、山彦源四郎なりき、紀文が天井の紙文魚が八丈縞の一対の奇談と雲ふべし、