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平治物語

信頼信西不快事援に近来権中納言兼中宮権大夫右衛門督藤原朝臣信頼卿と雲人ありき、〈○中略〉父祖は諸国の受領おのみ経て、年闌け齢傾て後、僅に従三位迄こそ到りしか、是は近衛司、蔵人頭、后宮宮司、宰相中将、衛府督、撿非違使別当、此等お僅二三箇年の間に経昇りて、年二十七にして、中納言右衛門督にいたれり、一の人の家嫡などこそ、加様の昇進はし給に、凡人に於ては未だ如此の例お不聞、又、官途の身にあらず、奉禄も猶心の儘也、角のみ過分也しか共、猶不足して家に絶て久き大臣大将に望おかけて、凡おほけなき挙動おのみしけり、去ば見る人目おふさぎ、聞者耳お驚す、微子瑕にもすぎ、安禄山にも超たり、余桃の罪おも不恐、隻栄花の恩にぞ誇ける、