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十訓抄

可離駒慢事
或人いはく、世にある皆駒慢お先として、よく穏便なるは少し、あるひは自由の方にておだやかならず、是我涯分おはからず、さしもなき身おたかくおもひあげて、主おかろんじ、傍輩おもさくる、或は偏執の方にてかたくな也、是は我思ひたる事おいみじくして、人のいふ事お用ざるなり、あるひは世にかはれるふるまひあり、是はむかしおのみいみじとおもひて、今の世にしたがはぬなり、或は折節に又鳴呼あり、是は内によくなれにしかばとおもひて、晴に出て人おならし、もしはうちとけ遊所にさし入て、我いまだみだれぬまゝに、ことうるはしくひもさしかためて、人おしらかし、其座おさますなり、あるひは才能に付てそしり有、これは物お知、才のあつきによりて、ようづの人おあなづるなり、あるひは愛著についておろかなり、是は我主より外、めでたき人なし、我妻子ばかりこゝろばせたらひたるものは、あらじとおもふなり、或はすきに付て咲らるる事もあり、是はむかしの人はことに心もすきて、花月いたづらに過さゞりけり、今は時代あらたまりて、おもしろき事もさるほどにて、それにしみかへりては、など心一やりて、人めにあまる也、あるひはふるまひに付てくせあり、これは立居の有さまの名たゞしく、おこがましきなり、大かたかやうの事は、駒慢おもとゝして、心の少きよりおこれる、これによりて、ついに生涯おうしなひ、後悔おふかくす、かゝれば仮の身お吉と安じ、昔おいみじとしのび、物おおもしろしとおもふとも、人目おばはかりて、よく習おつゝしみて、心に心おまかすまじき也、さればある経には、心の師とは成とも心お師とせざれと、かゝれたるとかや、およそ貧きものゝ諂はざるはあれども、富者の驕らざるはかたければ、皆人の習なれども、身の至て徳のおもからんにつけても、よくしづまりて、おだやかなるおもひお、さきとすべし、