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殊号事略

日本国王の御事
異朝の書に見えし日本国王の御事、鎌倉の頼朝の御事お以て国王の始として、京都代々の公方の御事、皆々日本国王としるせり、其中鹿苑院の公方は、正しく明の太宗の時、日本国王に封ぜられ、薨逝の後に恭献王といふ諡おも賜られき、〈当時南朝の君臣此お論じて、日本小国といへども、開避以来異朝の爵お受し事なし、義〉〈満が時に及びて異朝に臣と称する事は、日本の恥なりとのたまひし由記したる物あり、誠に事わりなりと申すべきか、〉其後また明の神宗の時、豊臣秀吉お以て、日本国王に封ぜられしお、我もとより日本国王たり、異朝の封お受べきにあらずとて、其使おおし返さる、〈此時に東照宮おも、右都督に拝せられて、冠服迄おもつかはされき、秀吉の其封爵おしりぞけ給ひし事は、誠に日本の面おこしと申すべし、〉