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承久記
摂津国長江倉橋の両庄は、院中に近く被召仕ける白拍子、亀菊にたびたりけるお、其領の地頭、領家お勿緒しければ、亀菊憤り可改易由被仰下ければ、権大夫〈○北条義時〉申けるは、地頭職の事は、上古は無りしお、故右大将〈○源頼朝〉平家お、追討のげんしやうに、日本国の総地頭に被補、平家追討六箇年が間、国々の地頭人等、或は子おうたせ、或は親お被打、或は郎従お損ず、加様の勲功に随ひて、分ちたびたらん者お、させる罪だになくしては、義時が計ひとして、可改易様なしとた、是も不奉用、一院〈○後鳥羽〉弥不安思召ければ、関東お可被亡由定めて、国々の兵共、事によせて被召ける、