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今昔物語
二十二
時平大臣取国経大納言妻語第八
今昔、〈○中略〉此大臣〈○時平〉は色めき給へるなむ少し片輪に見え給ひける、其の時に此の大臣の御伯父にて国経の大納言と雲ふ人有けり、其の大納言の御妻に在原 卜雲ふ人の娘有けり、大納言は年八十に及て、北の方は僅に廿に余る程にて、形ち端正にして色めきたる人にてなむ有ければ、老たる人に具したるお頗る心不行ぬ事にぞ思たりける、甥の大臣色めきたる人にて、伯父の大納言の北の方美麗なる由お聞給て、見ま欲き心御けれども、力不及て過給けるに、〈○中略〉此て正月に成ぬ、前々は不然ぬに、大臣三日の間に一日参らむと、大納言の許に雲ひ遣り給ふれば、大納言此れお聞てより、家お造り瑩き、極き御儲おなむ営けるに、正月の三日に成て、大臣可然き上達部殿上人少々引具して、大納言の家に御ぬ、〈○中略〉而る間夜も漸く深更て皆人痛く酔にたり、然れば皆紐解き但て舞ひ戯る事無限し、此くて既に返り給ひなむと為るに、大納言、大臣に申し給はく、痛く酔せ給ひにためり、御車お此に差し寄せて奉れと、大臣宣はく、糸便無き事也、何でか然る事は候はむ、痛く酔ひなば此殿に候ひて、酔醒てこそは罷出めなど有るに、他の上達部達も極て吉き事也とて、御車お橋隠の本に隻寄せに寄ぬる程に、曳出物に極き馬二匹お引たり、御送物に筝など取出たり、大臣大納言に宣ふ様、此る酔の次に申す便無き事なれども、家礼の為に此く参たるに、実に喜と思食なば、心殊ならむ曳出物お給へと、大納言極て酔たる内にも、我れは伯父なれども、大納言の身なるに、一の大臣の来給つる事お極く喜く思けるに、此く宣へば、我が身置所無くて、大臣の尻目に懸て簾の内お常に見遣り給ふお煩はしと思て、此る者持たりけりと見せ奉らむと思て、酔狂たる心に我は、此の副たる人おこそは極とは思へ、極き大臣に御ますとも、此許の者おば否や不持給ざらむ、翁の許には此る者こそ候へ、此れお曳出物に奉ると雲て、屏風お押畳みて簾より手お指入れて、北の方の袖お取て引寄せて、此に候ふと雲ければ、大臣実に参たる甲斐有て、今こそ喜く候へと宣て、大臣寄て引へて居給ひぬれば、大納言は立去りぬ、他の上達部、殿上人は今は出給ひ子、大臣は世も久く不出給じきと手掻けば、各目お食せて或は出ぬ、或は立隠れて何なる事か有るとて、見むとて有る人も有り、大臣は痛く酔たり、今は然は車寄せよ、術無しと宣て、車は庭に引入れたれば、人多く寄て指寄せつ、大納言寄て車の簾持上けつ、大臣此の北の方お掻抱て車に打入れて、次ぎて乗給ひぬ、其の時に大納言術無くて、耶々嫗共我れおな不忘そとぞ雲ける、大臣は車遣出させて返り給ぬ、〈○下略〉