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源平盛衰記
二十一
兵衛佐殿隠臥木附梶原助佐殿事
田代〈○信綱〉佐殿〈○源頼朝〉に頬お合て、いかヾすべきと歎処に、大場、曾我、俣野、梶原、三千騎山踏して、木の本萱の中に乱散て尋けれ共不見けり、大場伏木の上に登て、弓杖おつき踏またがりて、正く佐殿は此までおはしつる物お、臥本不審なり、空に入て捜せ者共と、下知しけるに、大場がいとこに、平三景時進出て、弓脇にはさみ、太刀に手かけて、伏木の中につと入、佐殿と景時と、真向に居向て、互に眼お見合たり、佐殿今は限りなり、景時が手に懸ぬと覚しければ、急ぎ案じて降おや乞、自害おやすると覚しるが、いかヾ景時程の者に、降おば乞べき、自害と思定て、腰の刀に手おかけ給ふ、景時哀に見奉て、暫く相待給へ、助け奉べし、軍に勝給ひたらば、公忘給な、若又敵の手に懸給たらば、草の陰までも景時が弓矢の冥加と守給へと、申も果子ば、蜘蛛の糸さと天河に引たりけり、景時不思議と思ければ、彼蜘蛛の糸お、弓の筈甲の鉢に引懸て、暇申て伏木の口へ出にけり、〈○中略〉平三伏木の口に立塞りて、弓杖お突て申けるは、此内には蟻螻蛤もなし、蝙蝠は多騒飛侍り、土肥の真鶴お見遣ば、武者七八騎見えたり、一定佐殿にこそと覚ゆ、あれお追へとぞ下知しける、大場見遣て、彼も佐殿にてはおはせず、いかにも伏木の底、不審也、斧鉞お取寄て、切破て見べしと雲けるが、其も時刻お移すべし、よし〳〵景親入て、捜てみんとて、臥木より飛下て、弓脇はさみ、太刀に手かけて、天河の中に入んとしけるお、平三立塞り、太刀に手懸て雲けるは、やヽ大場殿、当時平家の御代也、源氏軍に負て落ぬ、誰人力源氏の大将軍の頸取て、平家の見参に入て、世にあらんと思はぬ者有べきか、御辺に劣て此臥木お捜すべきか、景時に不審おなして、さがさんと宣ばヾ、我々に二心ある者とや、兼て人の隠たらんに、かく甲の鉢、弓のはづに、蜘蛛の糸懸べんや、此お猶も不審して思けがされんには、生ても面目なし、誰人にもさがさすまじ、此上に推てさがす人あらば、思切なん景時はと雲ければ、大場もさすが不入けるが、猶も心にかヽりて、弓お差入て打振つヽ、からり〳〵と二三度さくり廻ければ、佐殿の鎧の袖にぞ当ける、〈○下略〉