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太平記
十七
自山門還幸事
斯る処に、将軍〈○足利尊氏〉より内々使者お、主上〈○後醍醐〉へ進じて被申けるは、去々年の冬〈○建武二年〉近臣の讒に依て、勅勘お蒙り候し時、身お法体に替て、死お無罪賜らんと存候し処に、義貞義助等事お逆鱗に寄て、日来の鬱憤お散ぜんと仕候し間、止事お不得して、此乱天下に及候、是全く君に向ひ奉て、反逆お企てしに候はず、隻義貞が一類お亡して、向後の讒臣おこらさんと存ずる計也、若天鑒誠お照ざれば、臣が讒におち罪お哀み思召て、竜駕お九重の月に被廻、鳳暦お万歳の春に被復候へ、供奉の諸卿並降参の輩に至て、罪科の軽重お不雲、悉本官本領に復し、天下の成敗お、公家に任せ進せ候べしと、且は条々御不審お散ぜん為に、一紙別に進覧候也とて、大師勧請の起請文お副て、浄土寺の忠円僧正の方へぞ被進ける、主上是お叡覧有て、告文お進ずる上は、偽てはよも申されじと、被思召ければ、傍の元老智臣にも不被仰合、軈て還幸成べき由お被仰出けり、将軍勅答の趣お聞て、さては叡智不浅と申せ共、欺くに安かりけりと悦て、さも有ぬべき大名の許へ、縁に触れ趣きお伺て、潜に状お通じてぞ被語ける、〈○中略〉
還幸供奉人々被禁殺事
還幸已に法勝寺辺まで近付ければ、左馬頭直義五百余騎にて参向し、先三種の神器お、当今〈○光明〉の御方へ可被渡由お被申ければ、主上兼より御用意有ける、似せ物お取替て、内侍の方へぞ被渡ける、其後主上おば、花山院へ入進せて、四門お閉て警固お居へ、降参の武士おば、大名共の方へ、一人づヽ預て、召人の体にてぞ被置ける、